ここだけの話にしておいてね

読んだ本の感想や、忘れたくないことの記録を残しています。脳科学や進化の話、ファッション、インテリア、暮らし、ものづくりが好きです!

時間の進みの体感

歳をとるごとに時間の進みが早く感じるようになるんだと思っていたけど、

必ずしもそうではないことを最近実感している。

 

社会人になってから、学生時代よりも時間の進みがゆっくりに感じるようになった。

 

以前どこかで「初めての経験が多いほど時間の進みはゆっくりに感じられ、逆に同じ毎日を繰り返していると早く感じる」という文章を見たけど、本当にその通りだと体感している。

 

 

学生時代は学校もバイトも一旦レールに乗ってしまえば自分から大きな行動を起こさなくても大抵の物事は進んだけど、

社会人になって今の業界に入ってからはそうではなくなった。

 

主体的に動いていかないとコミュニティに自分の価値を示せない環境になったから、

毎日自分にできることを探しているし、自分の進んでいる道について考える機会も増えた。

 

あと、これは単にタイミングの問題だけど、社会人になってから縁が始まったり終わったりもして。

 

そういうことを通じて私は、学生時代には知らなかった感覚を知ったり、自分の無力さに直面したりして、

心が揺れ動くことが多くあることに気付いた。

 

だから一年一年に重みを感じるし、成長も感じてる。日々「生きてるなー!」と実感するわけではないけど、ふと振り返った時に人生の進みを感じた。

 

大丈夫、成長しているよ。

意思決定と脳の話

「脳には妙なクセがある」(池谷裕二 著)の中にあった 意思決定の話が面白かったのでメモ。

私たちの行動が習慣に従っている確率

ヒトの移動パターンを言い当てることができる予測率であるファノ不等性係数の研究では、 不等性係数は平均93%という結果が出ている。

不規則な生活パターンをしている人でさえ、80%を下回ることはない。

つまり、私たちの行動は、80%以上はお決まりの習慣に従っているということだ。

自由な意思とは

意思は脳から生まれるのではなく、周囲の環境と身体の状況で決まる。

次の二つは、いずれも本人の意思ではなく反射であると言える。 - 「指でものを指して下さい。」という依頼に利き手の指で指した。 - さらに「左右どちらかで指して下さい。」という依頼に利き手ではない方の手の指で指した。

前者は、当人の習慣として利き手を使用しているため、意思ではなく癖で利き手を使用したと言える。 後者は、依頼されたこと(外部音声)への単なる反射だと解釈できる。利き手ではない手を選択したのは意思ではなく、問われたことへの自動的な反応と解釈できる。

経験による反射の変化

経験によって反射の仕方が変化することは十分にあり得る。 この変化の方向が周囲の者から見て好都合に思える時、人々はこれを歓迎し「学習」や「成長」と便宜上呼んでいる。

自由意思とは本人の錯覚

実験の最中に脳を刺激することで特定の選択をさせた結果、 当人は刺激されたことに気づかず、あくまでも「自分の意思で選択した」と頑なに信じる。

このことから、自由意志とは本人の錯覚に過ぎず、 実際の行動の大部分は環境や刺激によって、あるいは普段の習慣によって決まっていることがわかる。

ヒトは自分自身に対して他人

ヴァージニア大学のウィルソン博士による「ヒトは自分自身に無自覚であるという事実に無自覚である」という言葉は、 私たちが自分の心がどう作動しているかを直接的に知ることができないことを表している。 

意識上の自分を過信し過ぎてはならないし、 反対に、自分が今真剣に悩んでいることも無意識の自分では考えが決まっているので気楽になれる。 脳という自動判定装置に任せておけば良いのだ。

自分の脳に正しい反射をしてもらうために

脳という自動判定装置が正しい反射をしてくれるか否かは、 本人が過去にどれほど良い経験をしてきているかに依存する。

つまり、頭の良さ=反射が的確であるということであり、 反射を的確なものにするためには、良い経験をするしかないのだ。

自己認識している自分と他者からみた自分の乖離

脳の頭頂葉は、意思の宿る脳回路である。 身体運動の実行回路だけを刺激しても頭頂葉を刺激されない場合は、本人には「動いた」という自覚がない。 例えば、腕を動かす回路を刺激すると腕は動いているが、本人は腕は動いていないと感じるのだ。

さらに、頭頂葉をさらに強く刺激すると、実際に身体は動いていないのに 本人はあたかも身体が動いたように感じるのだ。

つまり、脳にとって「動きたい」と「動く」は別の現象であり、 さらに「動いたと感じる」ことと「動く」も別の現象であるのだ。

動いたつもりになっている脳と、動いていないことに気づかない脳。 これは自己認識された自分と他者から見た自分との乖離を表している。

仕事をしたつもりになっているがやれていない自分、 空気が読めると思っているが読めていない自分。 自己評価についての勘違いがは誰にでもあり、 ヒトという生き物は自分のことを自分では決して知り得ない作りになっているのだ。

良い経験を積むこと

良い経験を積んで良い反射をすることは、脳を最大限に活用するための近道と言える。 良い経験をしたら、あとは脳の自動的な反射に任せておくだけで良いのだ。

参考

「脳には妙なクセがある」 池谷裕二

仏教についてのpodcastが面白い

podcastで聞いた仏教の話が面白かったので感想メモ。

‎a scope ~リベラルアーツで世界を視る目が変わる~:Apple Podcast内の#13 実は極めて論理的。「仏教」の世界へようこそ(ゲスト:松波龍源さん)

仏教の考え方は、いつの時代も幸せに生きるのに役に立ちそう。

難しいけど理解したいな。 シリーズ全4回をそれぞれ2回ずつ聞いて理解度はまだ半分くらいな気がする。

わかったことを言葉でまとめたいけど、難しくてまとめられない。 でも、言葉ではなく体感で納得した感じはすごくあって、自分にない考え方が興味深かった。

このpodcastの番組、もう終わっちゃったけどすごく面白いんだよね。 ホストの方がゲストの研究者の言葉を一般人にわかりやすく噛み砕いて要約するのが上手で いつも感動する。

やっぱり、知性って見せびらかすものではなくて滲み出るものなんだなぁ。

ボトックスを打ったら効果なかったけど気持ちは楽になった

私は自己肯定感が低い。特に自分の外見に関して。

健康的な体型だし、顔の作りも人によって好みがあるものだから 一概にどんな顔が可愛いとは言えないことを頭では分かっているつもりだけど、

無意識のうちに、周りの人が自分の外見を「私はこの外見じゃなくてよかった」とか 「この顔は内面に関わらず絶対に付き合えない」とか思っている気がしてしまう。

整形という選択肢

自分の外見を好きになれなくても、整形という選択肢は自分の中になかった。

私よりも顔が整っている姉がプチ整形して満足気にその話をしている時も、 私は「さすがに整形はできないな」と思った。

今思うと、私の真面目な性格が何かを勘違いして、 「生まれ持ったこの顔のままで生きていくこと」が正しい人生だと思い込んでいたような気がする。

人生に正しいも間違いもないのにね。

プチ整形を自分に許した日

ある日ふと気が合いそうな人に出会って、仲良くなりたいと思った。 でも私は顔が可愛くないから無理な気がした。

「私、この先の人生もずっとこの顔で色々なことを諦めるのかな?」と思った。 その時に初めて整形という選択肢が頭の中に浮かんだ。

もし整形して顔のコンプレックスが小さくなるなら、 人生は大きく変わるような気がした。し、今もしている。

今までも楽しくて幸せな人生だったけど、 整形することでまだ経験したことがないことも経験できるかもしれないと思うとワクワクした。 何で今まで整形という選択肢がなかったんだろう?とすら思った。

整形外科へ

行動力はあるので、その週末に2件のカウンセリングを受けた。 うち一件で当日にボトックスを打つことにした。

ボトックスは効果が出るまでに3~4日かかると言われた。 このブログを書いている現在、打ってから30時間ほどが経過している。

まだ3~4日経ってないから確かなことはわからないけど、多分あまり効果ない。 元々効果あるかわからない状態でお試しで打ったから仕方ない。

ボトックス後の心境の変化

効果がないことに落ち込むかと思いきや、 ボトックスを打った途端に自分の顔の良し悪しがどうでも良くなったので驚いた。

ちょうど西加奈子さんのエッセイ「くもをさがす」を読んだことも関係していると思う。

効果があってもなくても、美人でも美人じゃなくてもどうでもいいと思った。

自分は何をしても自分として生きていくしかないわけで、 そして努力しても他人からどう思われるかは自分でどうにもできないことで、 一種の諦めの気持ちが芽生えた。

整形しても自分は自分なんだと思ったら、 「美人としての人生」への憧れの気持ちが薄くなった。

それに、鏡を見たら今までよりも自分の顔が少し好きに思えた。 もしかしたらボトックスの効果がでてるのかも。 いや、多分出ていない。だって変わってないもん・・・。

自分の外見に諦められたら、心が軽くなった。 プチ整形による意外な結果でした。

【備忘録】脳と推論の話

podcastで聞いた脳科学のお話が面白かったので記録。

1. 脳は推論で世界を見ている

3Dの絵が実際は2Dなのに立体的に見えるように、 人間の網膜に映った世界は脳の推論によって理解される。

これは視覚に限らず言えることで、感情も脳の推論によって生まれる。

脳は、身体の感覚と推論から感情を生み出すそう。 何らかのストレスを感じた時にまず身体の感覚(胃痛など)を受け取り、その原因となるものを環境などから推測する。

推論を間違えることも・・・

脳が考える原因はあくまで推測なので必ずしも正確とは言えず、誤った原因の例が吊り橋効果。
これは吊り橋のドキドキ(身体の感覚)の原因を、恋愛対象の性の人と同じ空間にいるという事実から恋愛感情と勘違いしている。


2. 脳の推論と現実のズレ

脳には、推論と現実のズレを検知するシステムも備わっているそう。

このシステムが大きなズレを検知すると、脳は自己効力感が低いと感じてしまい、 これが心理的ストレスに繋がる。

そしてこれが重症化すると鬱状態となる。


3. 運動と脳の推論

運動を起こす時のメカニズムにも脳の推論が関係している。

運動をしようとする時、脳はその運動に関係する筋肉を動かすための 神経のはたらきを調整すると思われていたが、 最近の研究ではそうではないことがわかった。

最近の研究では、行動を起こすときにまず脳は「その行動を起こした時の筋肉の感覚」を イメージする。そして、そのイメージと同じことを脊髄で反射的に真似することで運動が起こる。

コップを持ち上げるときに脳で起こっていること

コップを持ち上げる時を例にすると、 この指を曲げて力を入れて・・・というように脳が筋肉を調整するのではなく、 まずコップを持った筋肉をイメージ→それを反射的に筋肉で再現する。

スポーツ選手が思った通りに身体を動かせる理由

スポーツ選手が思った通りに体を動かせるのは、脊髄に対して起こす行動のイメージを上手に伝えられるから。 つまり、筋肉の感覚予測(脳の推論)が上手だということ。

逆を言うと、脳でイメージできないことは実現できないのだ。


4. コミュニケーションと脳の推論

コミュケーションにも脳の推論が関係している。

コミュニケーションをとる時に脳で起こっていること

相手の表情や体の動きを見た時、まず自分の頭の中でそれを真似する(推論)。 (相手が笑っていると自然と笑えてくるのもその影響) そして真似した自分の身体の動きから共感的に相手の感情を理解している。

これをミラーシステムという。

自分の経験の多さと共感力

これも先程と同様、推論が上手にできない場合は相手の感情や意図を理解することができない。 そして、経験がないことは推論しにくいため、色々な経験をしている人の方が相手への共感がしやすいのかも。


感想

脳で上手に推論できないことは現実化することができないと言うのが面白かった。 巷で言われる「引き寄せの法則」はスピリチュアルのイメージが強かったけど、 脳の推論について知ると、脳科学でも説明できそうだと思った。

そして、やっぱり多くの経験をすることは、 人付き合いをはじめとした自分の人生の全体に大きく関わるんだと感じた。

参考

‎a scope ~リベラルアーツで世界を視る目が変わる~:Apple Podcast内の#29 脳科学で理解。私たちは「何を」見ているのか(ゲスト:乾敏郎さん)

【アウトプット大全】TODOリストの書き方

久々に「アウトプット大全」を読み返した。 "TODOリストを書く"という項目で紹介されているTODOリストの書き方が参考になったのでメモ。

TODOリストのメリット

  • 1日の仕事の流れ(= 1日の成功イメージ)が確認できる
    • TODOリストは1日の仕事の設計図
  • 集中力が途切れない
    • 「次は何の仕事をしよう?」の思考で集中力はリセットされてしまう
  • うっかりミスがゼロになる
    • 自分の記憶を信用するとミスの原因になる
  • ワーキングメモリの容量が増える → 仕事の効率化
    • 予定や考えに頭の中を占拠させないことで脳のワーキングメモリを有効利用

TODOリストの書き方

  • 午前/午後にすべき仕事を3つずつ書く
  • 毎日の仕事(ルーティンワーク)を3つ書く
  • スキマ時間にすべき仕事を3つ書く
  • プライベートの予定を3つ書く
  • 書ききれないもの(優先順位が低いもの)はその他に書く

感想

TODOリストに書くTODOの粒度に悩んでいたけど、午前/午後で3つずつは丁度良さそうなので早速取り入れたい。 明日から朝イチでTODOリストを作ってみよう。