憧れの気持ちとの付き合い方は難しい。
世間のみんなは憧れの気持ちとどう付き合うんだろう?
転職をして職場が変わり、
強い意志や好奇心を持って主体的に仕事に取り組む人たちにたくさん出会った。
私は、自分の人生を自分の手で作り上げる姿勢や主体性のある生き方を素敵だと思う価値観なので、
新しい会社の人たちはみんな魅力的に感じて、
こんな人たちと一緒に働けることを嬉しく思った。
それと同時に、
自分の気持ちよりも周りから求められることを優先し続けてしまう自分のことも、
周りの期待に応えられない自分のことも、
自分の外見のことも、
以前よりさらに許せなくなった。
こんなにすごい人がいる一方で自分は大した結果を生み出せない。私の存在価値って何だろう?と
何度も考えた。
こんな風になりたい!という気持ちと、
簡単に自分を変えられないもどかしさが自分の中でずっと渦巻いていて、
自分が変わらないのは自分の努力不足や短所のせいだと信じてやまなかった。
でも今月に入ったあたりから、少しずつ自分自身の受け止め方が変わってきた。
脳科学を本や大学講義で勉強するうちに、
自分自身を意思のままにコントロールすることはほば不可能なことに気付いた。
私たちは、自然が作り上げた運命みたいなものには逆らえないのだ。
だから、自分にも他人にも寛容になりたい
という気持ちが強くなった。
同時に、自分に対する期待値も、他人に対する絶対的な尊敬の気持ちも小さくなった。
自分が尊敬してやまないあの人たちにも
短所はあるのでは?
と思えるようになってきた。
そして、自分が気にせずにはいられない、周りからの期待についても捉え方が変わってきた。
周りの期待のことばかり考えてしまうことについては、
周りの期待って何?というところから考えると、
結局それは自分が作り出した幻想だと気付いた。
何故なら、具体的に誰がいつどういう言葉で
自分への期待を示したか考えてみると
一つも思い当たることがないから。
案外周りの人は自分に期待していない。
そして期待されないことは、自分を縛りつける要素が減るということなので、幸せなことでもある。
たとえ期待があったとしても、
周りの期待に応えようとがむしゃらに頑張るより
自分の気持ちに従ってやりたいことをやる方が
続けやすいし精神も安定するので結果が出やすい。
だから、周りの期待にあえて応えないことも
人生の戦略の一つなのだ。
みんなから成果を認められてすごいすごいと褒められることが一番いいことだと思っていたけど、
陰でひっそり1人で楽しむ人生もそれはそれで大正解、100点なんだったね。
そういえば保育園の時、極度の人見知りだったけど、
園の隅っこで大好きな折り紙を1人で楽しんでいたら周りの子が勝手に面白がって集まってきてくれた。
頑張って自分を変えなくても、
1人で楽しんでるだけで自分も周りも楽しくなれることもあるんだった。
自分に厳しくした分だけ他人にも厳しくなっちゃう自分にとって、それは理想の生き方だなあと思った。優しくありたいから。
色々書いたけど、なんとなく自分自身の受け止め方について方向性が見えてきた気がする。
2024年は「平和に寛容に」生きていきたい。